幻術ではなく 若原光彦
駅までの夜道、だしぬけに叔父が言った。「かぐや姫、ってどう思う?」。
「どうって?」と私は問い返した。「竹取物語の?」。
「そう。女子としちゃあ、ありゃあどうだい。アリなのかナシなのか」
なこと言われても、と戸惑いかけつつ、私はすこし嬉しかった。私はこの、母方の叔父が気に入っている。この人は時々こういうへんてこな話を吹っかけてくれる。こんな人あまり居ない。さして会う機会があるでもなし、なつくというほどのことはなかったけれども。叔父が来ると何か面白いことが起こりそうな予感がして、私は昔からこの叔父が好きだった。
私は単純に、思いついたことを述べた。「竹から生まれるのは、ないと思う。これは何者かかもって、拾われて育てられてられるのも。大豪邸に移ったりも。まあ、ないよね」。
「ああ、そっか、そうだな。ううーむ」。叔父は声に出してうなった。そして続けた。「言われてみればそっからだったな」。
「そっからって? 別の答を期待してた?」
「うむ。貴族の男どもがどしどし求婚してくるだろ? そんでかぐや姫は、断りきれないと思ったんだか嫌われようとしたんだか、伝説のアレを持ってこいだの超絶なナニを探してこいだの、無茶苦茶を言いまくるだろ。で男どもは、全財産をつぎこんだり、みずから探検に出て死にかけたりする。どうなんだい、女子としてはあれは?」
「どう、ってもねえ」。どうもこうも、おとぎ話でしょう。とは思うけれど。何を聞かれているかはわかった。「うらやましくは、ないと思うよ。たいていの女性は」。
「まったく?」
「と言っていいと思う」
「じゃあどういう話として聞いてるんだ? こんなこといいなあ、あったらいいなあ、とは味わってないわけかい」
味わうってなんだろう。そのニュアンスは掴めないが、思うに「みんなただ不思議なおとぎ話として接してるだけじゃないかな。違うの? 男子にとっては自分を投影するような話なの? あれは」。
「うむ」と言って叔父はくちびるを尖らせた。そして「かぐや姫に限らずだが」と添えた。
限らず。なら「男子って、おとぎ話がみんな自分向けに思えるわけ?」。
「いや、白雪姫とかは難しいだろうが。でもなー、なんつーかなー」と、叔父が自分の眉間をつまんでそこから糸を引くような動きを繰り返しはじめた。そんなことをしても脳から知恵は出てこないと思うのだけれど。「どーゆーかな。女子向けのような話ってあるだろ。赤ずきんとかシンデレラとか。男子はそういうのも楽しめるんだ、うん。でも女子としちゃあ、あんなのナシだろ?」。何が言いたいのだろう、今日のこの人は。
私は「シンデレラ好きだったよ。小さいころ」と、懐かしい絵本を思い出しながら言った。「親切な魔法使い。カボチャの馬車。ガラスの靴。お城で舞踏会。でも時間です、帰らねばなりません。ああっ」。ふふっ。
私が祖母から買い与えられたあの本は、現在からしても珍しい代物だった。
幼児向けの絵本はおおむね今でも、簡略的な絵柄で作られている。そのほうが子供には理解しやすいだろうと、適しているだろうと、そう思われて作られているからだろう。たぶん。
だがあの本は違った。全ページにわたって、絵が異常に書き込まれていた。たとえば夜道を行くカボチャの馬車には、きらきらと光る小粒の宝石が幾つも付いていた。しかしページを少し戻ると、その宝石がもともとは、カボチャにくっついていた水滴だったとわかるのだ。馬車の御者が握っているムチにしても、ネズミの長い尻尾が変化したものだとわかる。ガラスの靴だけが幻術ではなく、魔女からの本当の贈り物で、だからあれだけは魔法が切れても消えなかったのだと、そんなこともよく読めばわかる。
あの絵本は全部にその調子で。私はあの徹底的な精密さ、律儀さが大好きだった。自分が化学へと進んだ要因のひとつは、あの本にあると思っている。
小さいころは考えもしなかったが、中学生になってから気づいた。あの本の絵はアナログの筆ではなく、コンピューターのペンタッチで描かれていた。少し調べてみて、どうやら世の中がIT化で浮かれていた時期の希少本らしいとわかった。百倍に描き込んだところで、儲けが百倍になるわけでもあるまいに。なのにあんな馬鹿げた大作へ突き進んだ、奇特な画家と出版社が居た。そして消えた。
ああ、これが世代ということなんだろうかと、私は中学生なりに自分を俯瞰した。数年早く生まれていても、数年あとに生まれていても、私はあの絵本と出合わなかっただろう。そして私の人生は別物になっていただろう。
叔父がポツリと言った。「そうか。意外だな」。
何が? と問うかわりに叔父の目を見た。意外だと言うわりには驚いた様子でもない。「ううむ。男の感覚からすりゃ、シンデレラってありゃ夢がない、悲しすぎる話に思えるんだが」。
「いじわるな姉とか?」
「それもだが。美貌ひとつで誠実な王子様が探しに来てくれるってのも、なんだかな」
「容姿だけだったっけ? 違ったような気がするんだけど」
「そうだったかな。磨けば光るという、あーいや、まあその」と叔父は腕組みし、それをほどいてまた眉間をつまんだ。「そのさ、男子はさ。副作用がなけりゃ俺も竜宮城へ行ってみたいぞとか、桃太郎のキビ団子をオニに食らわせられんモンかなとか、どんなおとぎ話にも夢のあることをいろいろ思えるんだけども」。
「そう?」。それのどこが夢のあるコトなんだろうか。
「でも女子向けの話ってのはどうも、オオカミに食われに行ったり、お菓子の家で働かされたり、神隠しにあって殺されかけたり、なあ。夢がなさすぎるんじゃねえかと思うんだが。そうでもない?」
って言われても。私は既に成人で、子供のころの感想なんてろくに憶えていない。「それってたとえば、私にもし娘ができたとして、その子に読ませたいかどうかってこと?」。
「うんまあそうでもいい」
「多くの話のひとつにすぎないんじゃないかな。選ばない理由もないけど、選ぶ理由もなくて、たんに多くのお話のひとつってだけだよ。きっと」
叔父は「うううーん」と悶え、おもむろに感心したみたいに「夢がないっ」と述べた。私は、そうかもね、と答えかけたが軽率に同意するのはためらわれて、ただ黙って、しょうがないなあ、といった苦笑を送った。叔父は静かにほほ笑み返してから、私への視線を外した。
まだしばらく歩いてから、叔父が急に立ち止まり、道路の反対側を見やって「あきらか」と呟いた。吐き捨てるような。小声だがしっかり聞き取れる声だった。「みっつめの職場にカネダテツオってふざけた名前のが居てさ。だからなのかな、そいつ居眠り運転に撥ねられて即死しちゃったんだが、なのにその日、自宅に遺書が置かれてたってんだ。前日に書きたてのが。おかげで事故か自殺か他殺か偶然か見当つかんって、遺族や警察が俺にまで聞き込みに来てた」。そして私に向き直り「不吉だね」と言った。
私は意味がわからず「ここがその事故現場なの?」と訊ねた。叔父は唐突に大ウケし、「ちゃわーい!」と叫んで、それからケホカホとむせた。
若原光彦
もと詩人。岐阜県在住。1979年生まれ。
1992年ごろ詩を書きはじめ、短歌などを経て、
2002年からは自由詩、朗読で動いていました。
のち2011年からは事実上の活動休止をしています。
3月中旬、たまたま樋口恭介さんのTwitterへ迷い込み、そこでこの企画を知りました。
「こうしたWeb 1.0的なものって、すっかりなくなってしまった気がするけど、
これにはこれの美点があって、ああ、なんだか嬉しいな」といったことを思いました。
自分も参加してみたくなりました。よろしくおねがいします。
……『AKIRA』について、私はアニメ映画のみ経験済み、マンガ原作は未読です。
お題の写真からは、よからぬ感じと、
それを現在進行形の日常にしちゃう凄さ、みたいなことを感じました。
ゲーム『Mirror's Edge』『Tick Tock Bang Bang』を思い出しもしました。
と書いてて今「サイバーパンク」という語が頭に浮かびましたが、
それって何なのか、都会じゃ横目にあるものなのか、私にはわからないのでした。